最近、仕事でもどうも話が通じないことが多くなった気がします。いえ、過大な期待をしているつもりは毛頭ありません。ただ単に、お願いしたことを普通のレベルで実行していただきたいだけで。そんなことにホスピタリティなど求めておりませんし、セコいものしか買わないくせにコンビニで偉そうな態度をとるオッサン客ほど心はすさんでいないつもりです。
わかりやすい例は数々あるのですが、本人が見ていたら気まずいので具体的には書けませんけども。とくに初めての相手の場合、相手の専門領域もその実力のほども知る由はありませんので、私が何を目的としていてあなたに何を求めているのか、を丁寧に伝えて理解してもらってから仕事を始めるようにしているのですが、結局相手は自分の目の前の世界しか見ておらず、こちらもつい 「だからさぁ」 などと言ってしまって反省することが多々。これでも、他人が分かってくれない時は、伝えようとする自分のほうに問題があると思うように気をつけるようにしております。以前のエントリーでも書いたような気がしますが、経験を共有できていない人に的確に真実を伝えるのは大変難しいのです。そんなつもりでいたのですが、ひょっとして、よりオッサン度が増してきているのか。
でもこれと似た現象、そういえばオッサンになる前から体験済みでした、「アメリカ人」 で。メールでお願いごとをすると、ほんと頭に来るぐらい最初の 3 行しか読まないのです、やつらは。依頼事項が 3 つあるとき、普通に文章でつらつら書いてはだめ。何一つ解決せず 「そこまでは俺も分かってんだよ、その先が知りたいんだよ」 というような答えが返ってきて終わりです。番号振って箇条書きにしてすら、最後の 3 つ目までたどり着かないこともあるぐらい、もちろん人によりますけども。いろいろな国からの移民の寄せ集めだからでしょうかね、経験どころかバックグラウンドが全く違うので、基本的に、相手の気持ちを推し量って先回りするようなことはできないし、しようとしない。でも、なんだか最近日本でもおんなじになりつつあるのではないかと思う次第です。いまだ均一性の高い日本においても 「できない」 ようになっているのは、もっと根本的に 「想像力の欠如」 から来るのでしょうか。
そんなことを考えていたら、先週末、たまたま見ていたどこかの民放ニュースを聞いて驚きました。都内の公立中学校で、平日の夜と土曜日、通称 「夜スペシャル」 と呼ぶ、限られた優秀な生徒を相手にした、塾講師による有料の補習が始まったようです。あまりニュースバリューがないのか、あっさり終わっていましたけども。いや別に、優秀な生徒に補講を提供するのは問題ないとおもいます。学力にばらつきの出やすい公立ではどうしても下のレベルに合わせた教育を提供せざるを得ませんから、学力のある生徒をカバーする施策はあってしかるべき。20年前私が通っていた田舎の県立高校は、同期に東大からパチプロまでいるマンモス校でしたので、夏休みだけの科目限定でしたけども、上位 30 人ぐらいまでが 1 つの教室に集められ特別授業を受けていました。もちろん無料です。つまり気になったのは、「夜スペ」 が外部の進学塾講師を招いた有料コースであるところ。
普通に塾に行くのと比べて半額ぐらいという触れ込みですが、それでも数万円、はかかります。つまり、公的教育機関の大前提である教育機会の均等が損なわれるのではないでしょうか。誰もが平等に教育を受ける権利があってこその義務教育であり、日本の平均的教育水準の高さが担保されているわけです。しかし現在ただでさえ、十分な水準の公的教育サービスが提供できない (のであろうことが学習塾産業の繁栄から想像できる) ことで、経済的なゆとりのない家庭を圧迫しています。今回の試みは、自らのサービス水準向上ではなく外部の経済原理を持ち込むことで、逆にその格差を助長していないでしょうか。月謝が1,000円だろうが10万円だろうが関係なくて、公的教育機関の理念にそぐわないのではないかと思う次第です。戦略のないところに選択と意思決定が存在し得ないのと一緒で、理念なきセカンドベストは成長のないただの場当たりです。
経済格差がそのまま教育格差になれば、政治家、官僚、企業経営者、みんな世襲になります。もちろん、たくさん勉強すればすぐれた人間になる、と言うつもりはありません。高度な教育を受けているのに想像力が欠如している人はたくさんいますから。しかし、知恵は知識と経験が結び付いたところに生まれるもので、基礎的な知識と訓練は必要条件なのです。知識の広がりはそれこそネット上からいくらでも手繰り寄せられますが、キーワードを知らなければ検索のしようがないですし、思考プロセスは長い時間をかけて養われるもの。それに、将来成長するかどうかわからない新入社員を採用する企業サイドからみれば、学力を指標にするのは当たり前の話で、つまり与えられるチャンスの幅がその時点ですでに違うのです。公的教育機関にはできるだけ多くの生徒を底上げしてチャンスの芽を広げてあげる義務があります。能力があってもチャンスが与えられない社会に明るい未来なんてありません。せめて会話ぐらいまともに成立する社会であり続けてほしいものです。
※ 本エントリーの内容は筆者個人の見解に基づいたただの独り言であり、マイクロソフトの見解を示すものではありません。
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