オープンソースへの取り組みは、「政治的に正しい」ものになったのだろうか。
政治的正当性の罪は、それが真実を突いていようとそうでなかろうと、世論を背景としたときに人々がそう考えなければいけないと感じる前提に基づいて、形成されるものである。
オープンソースに関しても、そうした前提が存在している。第一に、オープンソースはよいものである。第二に、オープンソースは生まれるべくして生まれたものである。オープンソースを支持する人々の前で何か話す(あるいは何か書く)ときは、これらの前提を疑うことはまずしない。ブーイングを浴びたくないからだ。
どうやらわたしも、そんなブーイングを浴びせる側に回ってしまっていたようだ。先週、ある企業の幹部がわたしに近づいてきたのだが、わたしはそれ以前に、同氏が大きな誤解をしているという批判記事を書いていた。
これには非常に驚いた。というのも、問題のイベントについて書かれた記事で、わたしが目を通したものはどれもこれも、同氏がオープンソース企業の長期的な持続性を手厳しく非難したということを取り上げていたからである。
ちょっと待ってもらいたい、そうした記事はすべて「集団思考」の類で、政治的に正しいとされる前提に立った、まっとうに見える意見を寄せ集めたものなのだと、この幹部は言った。特定のオープンソース事業の未来に関して考察を述べたのに、それがオープンソースそのものに対する攻撃ととられたのだとも、同氏は話した。
確かにこれは公平性を欠いている。
同氏にも一理ある。オープンソース界に分け入ろうとするプロプライエタリ企業が、自社の競争上の優位性を確立する戦略やビジネスモデルを模索する――これは何か間違っているだろうか。理念としてのオープンソースが厳しい世過ぎの手段として用いられるのに、何らかの制限があるというのだろうか。
そうは思わないが、わたしは一介の記者である。この件については、読者の意見を求めたい。オープンソースに関するある種の前提に、適切かどうか確信は持てないものの、疑いを差し挟んではいけないというプレッシャーを感じたことはあるだろうか。あるとしたら、それはどのような前提だったのか。プレッシャーを感じたとき、読者はどのように対応したのだろうか。
(Dana Blankenhorn)
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